
僕が今までに経験したCruiseの中でダントツ最悪だと思えるCruiseについて書いておこうと思う。ここにドスグロイ文章を掲げて何の意味があるのだろうと思われるかもしれない。しかし、「現実ではこういった事もあることを知ってから、Cruiseに出かけなければいけない」と僕は考える。(なんちゃってー、
古!(^^;)
ここで読むのを止める方が正解かもしれない。でも他人の判断に、僕は何も言えないからなぁ。
またまた、前置きが長くなる。だから始めに言っておきたい。これ以降は時間のある人だけ読んで欲しい。さらに、読んで気分を害する可能性がある事を先に表明しておく。ある意味、人の、と言うより僕の心の黒い部分を吐き出すつもりだからだ。今なら、間に合う。読み手の気分を害して、あなたの一日に暗い影を落とすことになっても、僕は責任がとれない。僕は、事前に警告したからね。
当然、主観的で一方的な話になる。でも、その前にある程度、僕自身を説明しておこうと思う。
とある田舎で長男であった父の子として、僕も長男として産まれた。住んでいた土地の関係で、ほぼ初孫に近い扱いを受けた。そう、徹底的に甘やかされて育った。何不自由なく育ち。横暴で利己主義の権化が出来上がった。今、僕がそのクソ生意気なガキである幼い自分のそばに居たら、ボコボコになるまで徹底的に根性を直してやりたいと思うほどだ。(^^;
その方向性が少し変わったのは、やはり15歳の時に下半身麻痺で胸から下の感覚を完全に失ってからの様な気がする。Virus性の脊椎炎症と言うのが医師の見立てだったが、そんな事はどうでもいい。動かなくなった僕の下肢を毎晩、母親が汗をかきながら動かしてくれた。それは彼女がちょうど自分の店を立ち上げた年だった。何てタイミングだろうねぇ。
そして二月も経った頃だろうか、全く動かせなかった足の指が僅かに動かせるようになった。そんな事があって、僕はもう一度新しい人生を送れる可能性を得た。各部に障害は残ったが、自分の意思で歩ける下肢がまた戻ったからだ。当然の事ながら、母親には一生頭が上がらない。しかし、元々個人主義的な家庭だったから、自分のやりたいことにさらに貪欲になった。母親の心配も省みず、自分の思うがまま、我がままに歩むのは幼年期の性格がそうさせたのかもしれない。母親の心配を知りつつ、反対されてもBikeに跨り旅をした。ウチの掟に、自分の稼ぎでなら、好きなようにしてもいいという決まりがあったのだ。だから、二十歳を過ぎた段階で完全に独立した。まあ、今考えると保証人としてや、親として見守ってくれていたからこそ、それが実現出来たのだと思えるわけだが・・・。
学生時代、勉強は全然出来なかった。というより当時は学ぶという事が面白いと思えなかった。でもまあ何とか学校を卒業できたし、職にも在り付けた。時代が良かったせいだ。給料もそれなりに良かったので、初めてU.Sへ旅したのも職を得てから2年目だった。その旅がきっかけで30歳間近で退職して、再度U.Sへ遊びに行き、KayakとHorse back trailを知った。Sky divingも体験し、28回のJump経験がある。でも英文の試験がPass出来なくて、最下級のClass A licenseも取れなかったのを白状しておこう。(^^;
遊びだけのU.Sでの旅で、川と馬(Kayak&Horse)遊びを知った事以外に、もっといいものを見ることが出来た。
僕は日本国内に戻った後も、各種遊びをしながらそれらに出会える機会を待った。U.Sにあったのだから、日本でも絶対どこかにあると信じていた。もし、この自分勝手な僕を受け入れてくれる人達と、その場所に出会えたら、僕もその一部になりたいと思い続けていた。それは言葉にするならCommunityと呼ばれるもの。でも僕の感覚では、皆自分の出来ることを差し出して、気持ちのいい空間を共有する場とそこに集う人達だった。U.SのDiving clubで見たのは、誰にでもBeerが差し出され、無くなったらまた誰かが買ってBeerを冷蔵庫に保っているという事実。それも強制的にお金を集めるのではなく、「前回は飲ませてもらったから、今度はオレが買ってきたよ」みたいに、自由だけれど、自己規律のある集団に見えたのだ。僕も自分が飲んだと思われる量のBeerを買ってきて冷蔵庫に入れておいた。すでにケチで貧乏な僕ではあったが、こんなに気持ちのいいお金の使い方は無いなぁとその時感じた。
僕が日本でそれを見つけることが出来たのが、紅葉台木曽馬牧場だったり、東京障害者乗馬協会(TADER)の仲間だったり、Amateur無線家の集まりWTK Groupだったり、最後にとっておきのBeWINDS Sailing clubだったりしたわけだ。そこでは普通に、個々の損得の考え等なしに、無償で自分の出来ることをお互いが差し出している人達が集っていた。規約は無い。好きな時間に参加して、好きな時間に帰って行く。自由で素晴らしいと思った。そこには尊敬できる人達が集っていた。また、そんな仲間に加えてもらえた自分が誇らしかった。
「最悪のCruise」とは、もう察しがついたと思う。
複数人でのCruise経験の内、数回の特定の人間と一緒に出かけたCruiseが僕にとって最悪だった。素晴らしい景色も灰色に見えたし、全てに心踊ることもなかった。僕は好きなことをするために舟に乗っているのに、Sailで風を切って走っているのに、いつもならワクワクするGustがそこに見えていたのに、初めて見る景色でさえ楽しむことが出来なかったのだ。
前に述べた通り、僕はわがまま一杯に育った利己主義な人間だ。だから一方的な思いだけで述べる。舟と言う閉鎖空間で旅をすると言うことは、閉鎖されたCommunityだ。それも途中下車出来ない部類の。
そんな中に自分とは考え方が違う、反りが合わない人間と一緒に何時間も居るとなったら、それはもう想像以上の最悪なCruiseになる。Yachtyが集まると、過去どんな最悪のCruiseをしたかを良く話すらしいが、僕はまだそんな経験はない。しかし、最悪の状況は荒天の時ではない。人によっては赤道域のthe doldrums(赤道無風帯)だと言う人もいるが、僕の考えは違うね。舟に集う人の中に、和を乱す。あるいは和を考えない人間が居ることだ。これが最悪のCruiseだと思う。これを体験した後は、一生Single-handed(一人乗り)でいいとさえ思ったほどだ。
今思えば、その可能性すら知らなかった僕にとって、いい経験だったのかもしれない。まさか素晴らしい時間が共有できるはずのCruiseに、自分は何も出来ないのにどこにでも口を突っ込み、僕の内面を鮫肌のように荒らして行く人間が参加する事があるなんて!その時は信じられなかった。まさに「青天の霹靂」。<自分の為のLink。この言葉を使ってみたかったダケ。
人によって能力が違うのは分かっているつもりだ。でもそいつは、他人の気持ちを開くようなものは何も差し出せない、替わりに全てに嫌気がさすような気分にさせてくれる奴だったのだ。コレは僕の主観。だから周囲のCrewがどう思っていたかは分からない。でもね、こんな気持ちになってまでCruiseしたいとは誰も思わないと思うよ。
Zeeeeeeeeeeeeeeeeee <これ背中のジッパーを下ろしてる音、ココから中の人がしゃべります。
ここでは猫かぶっているけど、オレは性格すこぶる悪いぜ。多分、本人がこれを読むとは思わないが、オレとオレの舟に二度と近寄るなよ。オレはあの時のSkipperのように心が広くないぜ。
Zeeeeeeeeeeeeeeeeee <分かると思うけど、もう一度、猫被り直してます。(^^;
僕の親しい友人なら、「現実空間で、何かヤな事があって八つ当たりしてるのね」と察するだろう。そう、その通りだよ~ん。僕は文章にすることによって頭の中を整理する人間だから、モヤモヤをここで文章にして吐き出しただけなのです。ここまで読んでしまい、気分を害されたらすみませぬ。でも言い訳すると、最初に言ったんだからね。(ツンデレ風に読んでね)
でもこんな経験があるからこそ、Canadianで自分たち家族で協力して舟を作っているDavid&Karen、Two kidsの家族や、Asanumaご夫妻の様に夫婦で仲良くCruisingを楽しんでいる人達を見ると僕は憧れずにはいられない。僕がまだ少し若かった馬旅途中の1999年、志賀高原にある丸池ホテルの児玉さん一家に出会った時は、僕でさえ家庭を作りたいと考えたくらいだったもんね。口の悪い悪友は「柄じゃないで」と笑っただろうが・・・。:-p
下記、ICON。以前は世界旅行にしていたんですが、自分が数件読みに行ってみて、興味持てるものが余りなかったので、同じ土地で自分が興味持てそうなアメリカ・カナダ旅行へまた替えてみました。ころころ替えてすんません。試行錯誤中のためお許しあれ。

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